TAFE Tasmania学校卒業

Australia

初めてこのオーストラリア本土の下にある、小さな島タスマニア島に足を踏み入れてから約7ヶ月ほど過ぎて、日本の東京でアパレルの仕事をしながら、自分で調べて入学を決めたこのオーストラリアの語学学校の修了の日が来た。この語学学校というのは日本で言う専門学校のようなもので、特に決められた入学や卒業のタイミングはなく、生徒一人一人異なるのである。故にこの日この学校を卒業するのは私1人であった。

少し思い出せば、通常3ヶ月ほどで卒業していく生徒がほとんどの中、半年以上在籍していて、歳で言うと5歳以上クラスメイトよりも上で、国際免許を持っていた私は少なくともこの北海道の一回り小さな島を3周以上はみんなを連れて旅行していた。みんなで大きなバンを一台レンタルして、私の週末の予定を確認しに来るのである。もはや専任ドライバーであった。毎回行く時期、違う国々のメンバー、場所も違うので私は単純に楽しかった。

ありがとうタスマニア島

最後の日は私の英語での発表の時間があり、私は個人的に好きな日本の歴史、お城についてパワーポイントを使って出来る限り分かりやすく、発表した。無事に終わり、担任の先生からも褒められ、最後の授業が終わった。

その後みんなから、それぞれの国の紙幣にそれぞれの国の言葉でメッセージを書いた色紙の代わりのような、貴重な宝物をもらった。逆に日本の紙幣にメッセージ書いて頂戴と言われ、20人くらいいるクラスメイトに日本の最小紙幣でメッセージを書いたら、少なくても2万円。これから長い旅に出る私は『書けるかっ!!』と日本語で突っ込みを入れて、目を見て一人一人に思いと感謝を伝えて学校生活を終えた。

寄せ書きという文化は世界共通なんだなと思いながら通い慣れた街並み、スーパー、カフェ、郵便局、バス停を歩いているといよいよこの街とのお別れを感じながら帰路につき、荷物をまとめ、いよいよ始まる旅に必要のないものは事前に郵便局から日本に送りバックパック一つと寝袋のみになった。ザックの中には着替え2セット。石鹸、タオル一枚。歯磨き、パスポート、現金くらいのものである。

半年住んだ一人暮らしの部屋を掃除し、一礼し、空港に向かうバス停に行くと、仲の良かったクラスメイトが3人ほど見送りに来てくれていた。

大きなバスが着くと最後にみんなとハグし、旅の健闘と無事を願っていると言われ、さようならをした。違う国、違う歳、違う性別や文化、価値観、生まれ、宗教でもしっかり仲の良い友達が出来たことをとても嬉しく感じながらバスで空港に向かっていた。そして少しの別れの切なさともっと少しの旅の不安と、その5倍上の旅へのワクワクで胸の中は熱くなっていた。

さぁ!いよいよ旅のスタートとなるオーストラリア本土アデレードに向かう。

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