いよいよ到着ベトナム南部の大都市ホーチミン市

Ho Chi Minh City
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皆様シン・チャオ🇻🇳ニャチャンから450キロ、ベトナム南部の大都市ホーチミンからこんばんは!

ここホーチミンに住んでいる人口はベトナムの中で一番多いんですね。最初の頃にいた首都ハノイよりも、人の多さ、活気などなど凄い勢いを感じます。まずはここでもいつもと同じように荷物を下ろせる安宿探しからスタートです!

大都市だけあって旅行者などが泊まる宿や、現地の人々も活用する大きな市場、カフェや、屋台、飲み屋、お土産屋さんなどなど必要なものは何でも手に入りそうです。なので泊まる宿、ご飯を食べる屋台、移動手段などこの街では困らなかったです。

戦争を知らない君へ…そして私たちへ…

さて皆さんはベトナム戦争についてどのように感じているでしょうか?(着いて早々いきなり重い話〜) 他国の昔の戦争くらいでしょうか? 今からたった51年前の話です。わては今回ベトナムの北部から旅してきて、1975年に終結したあのベトナム戦争の傷跡や、内情などは今までのベトナムの旅中そこまで強く感じてきませんでした。ここホーチミンに来てからは、戦争証跡博物館などあの戦争を後世に残すためにも建てられた博物館まであり、現地で長時間その博物館の中を見てきましたが、あの戦争について知らない状態でも一見の価値があると思いました。目を背けたくなるような拷問器具の展示や、武器、戦時中の写真、戦争で人間に使われた枯葉剤などの後遺症により戦後に生まれた奇形児たちも沢山展示されていました。日本ではベトちゃんとドクちゃんが有名かもしれません。 博物館にはただ紛れもない変えられない過去に続く現実がその場にはありました。過去は変えられないので、伝えてくれる経験を知り、学び、そこから何かを感じる。皆違っても良い、何か感じられることが大切なのではないかと展示された説明や、写真を見ながら思いました。

長期の内戦、強大な国家間の代理戦争 共産・社会主義vs反共・資本主義 熾烈なベトナム戦争

戦争に着いて興味のない方にはすでに申し訳ない回ですが、少しだけ大まかにベトナム戦争の説明としましては、1954年の第一次インドシナ戦争終結後、ジュネーブ協定でベトナムは北緯17度線で南北に分断され、その後国々の思惑があり、平和的統一の道が閉ざされ、武力による統一が強まり、北ベトナムにはソ連、中国が支援、対するはアメリカなどが南ベトナムを支援していました。さらに植民地支配からの独立、どのような主義でこれからのベトナムはやっていくのかなど、ベトナムとしての今後を大きく左右する戦争となっていました。さらっと書いていますが、同じ国の人々が、自分たちの国内で争うこと自体すでに悲惨なことです。しかもその後ろには強大な国々が自分たちのために渦巻いている現状。世に言う「冷戦化の代理戦争」というものです。さて皆さんが自国の民ならばどんな行動に出ますか?わてならばどうするでしょう。このような過去の学びを今現在考えても無意味と思う人もいるかもしれませんが、わてはそのようには思わないので、今回は少しお付き合いいただいて。

そんな中、戦争当初の話とは異なりソ連や中国の物資や人的協力をはとんど受けられなかった北ベトナムは自分たちだけで考え、物資、食糧など沢山のものが不足する中、この長い戦争に突入していきました。逆に南ベトナムは強力なアメリカの援助のもと軍事費、屈強な戦士、食糧などを補充し続けました。なのでアメリカもすぐに結果を出せる、終結できると思っていました。

ちなみにこのような現象は世界の至る所で行われていました。戦争がもたらす国家の分断です。ドイツでは東ドイツ、西ドイツ。朝鮮では北朝鮮と韓国、そしてベトナム。これはあまり知られていないと思いますが、日本も第二次世界大戦後この仕組みに組み込まれる所でしたが、何とかギリギリのところで当時の方々が悪戦苦闘して日本国の二分化は阻止されました。沖縄のひめゆり学徒隊は有名ですが、北のひめゆりを知る人は少ないかもしれません。ちなみに日本の国を分ける場所は福島県あたりだったとのことです。勿論北部がソ連、南部がアメリカ支配の日本です。

話が逸れました。今はベトナムのホーチミンにいるのでそちらのお話を。

そもそもこの戦争は初めてテレビが戦場に入ったことで、テレビの前の国民に戦争の生々しさや、悲惨さ、反戦感情が高まり、アメリカでも反戦の世論が高まったことが結果的にアメリカの大敗北につながったとも言われている。最終的に皆さんも歴史でご存知のように1973年にアメリカ軍がベトナムから撤退し、1975年にサイゴンが陥落し、北ベトナムによって統一され1976年に現在も続くベトナム社会主義共和国が成立する。

この旅中も、いろいろな国で過去の戦争や、内戦、宗教観の争い、人種の争いを見聞きしてきたし、出来る限りそんな時はその場所を訪れ博物館や資料館に足を運んで見てきた。もっと現実的に身近なことで言えば、街中の喧嘩や、人種や性別の差別などを目の当たりにしてきた。

「争いはなくならない」太古の昔から繰り返されている。認めたくないがこれはとても残念ながら今も尚、争う国々もあり、内戦、軍事的、経済的、宗教的、様々な要因があるかもしれないが、人間に感情がある限り綺麗事を無しにした現実だと思っている。 勿論争いはない方が良い。しかし争いたくないと一方が思っていても、攻撃された方は守ることでその争いに身を投じてしまう。大きな話ではなくても、隣近所の小さな諍いだって結果的に争いに発展しかねない。いつでも私たちの日々の、すぐ近くに、音もなく潜んでいる。戦争は本人や国の意思に関係なく、誰にでも、どこでも、いつでも起き得る。 今夜でも、明朝でも。 なぜなら争いは1人では出来ない。相手がどう思っているか、どう動くかはこちらの意思とは関係ない。話し合いで安全に解決の道を選びたいが、相手に通じるかは残念ながら夢物語の空想の時だってある。

いきなりですが、マザーテレサに対しては色々な意見もある人はいると思いますが、現に沢山の施設を擁し、少なからず人々の助けを行なっている事実はあるので挙げさせてもらいますが、とはいえインドのコルカタでマザーテレサの施設「死を待つ人の家」でボランティアの人たちに混ざっても何一つ手伝わなかったわてが言うのも何ですが、今回だけは彼女の言葉で終わります。

「昨日は去りました。明日はまだきていません。私たちにはただ、今日があるのみ。さぁ。始めましょう。」

今日も読んでいただきありがとうございました。今日の今に感謝して、お互い明日の今を生き抜きましょう。

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