2004。都内にある服飾の大学を卒業し、エスニックのアパレル会社で卸の仕事をしながら、中学生の頃からの夢、留学を目指していた。アパレルの経営、販売にも海外とのやり取りや、買い付けなども含めてやはり英語の必要性を感じ、全ての手続きを国内で自ら済ませ、2年後自分で決めたオーストラリアにあるタスマニア島へ一人飛び立った。この時の語学力は本当に中学生レベルである。留学したいのは、話せるようになるよりも前に、異国で暮らしたいが優先だった。暮らしていれば、必要になり話すであろうと。まずは行動である。
旅立つ前に 〜留学と一人暮らし〜
日本ではない場所での生活には物心ついた時から興味があった。ではなぜ就職までしてから、わざわざゼロからの環境で暮らし出すのか。
それは忘れもしない中学3年の英語の授業で担任の英語の教師にこう言われた。
先生「あなたの発音とても上手ね。みんなに聞かせてあげて」
私は授業以外で発音なんて習ったこともなく、特に優秀な生徒でもなかったのでとても驚き、恥ずかしかったが、言われるがまま声に出して読み上げた。
ただそんな当たり前のような一日の一コマが一人の人間の人生を変えていく。
あまり人様から褒められたことのない私には、そのことだけで海外への充分な憧れになり得た。
そんなことをホバートの空港で一人迎えを待ちながら、ワクワク9割、不安1割ほどの好奇心に満ち溢れた私は、異国で生活するという小さくても夢というか、目標を叶えるスタート地点にいることを実感していた。
コメント