カオサンロードとは白米通り
大体予定通り朝8時前にはカオサンロードに到着し、バンに乗っていた全員が荷物を持って道路に一斉に散っていった。初めて来たわてにはここがカオサン通りなのか、その近くなのかすら分かっていなかった。なぜならイメージしていた賑やかな通りとは違ってとても静かに感じたからだ。後になって思えば無理もない時間が早かっただけである。兎にも角にも着いたのだ。この時代バックパッカーの聖地とまで言われたカオサンロードに。本の中や言葉では聞いていたあの道に。荷物を背負いながら閉まっている両サイドのお店や早朝からやっている屋台などを横目にまずは安宿を探す。なぜこの時代ここタイのバンコク、カオサンロードが旅人の集まる溜まり場と呼ばれるようになったのか、それはしばらく居れば自ずと分かってきた。何よりも商いをしている人、トゥクトゥクや移動販売などの商人以外ほぼ外国人である。特に西洋人や欧米人が多くアジア人のわてからは見受けられた。この時代はまだアジア人は少なかった。アジア人の中であればダントツで日本人が多かった。タイの言葉は100%読めないし、話せないが必要な言葉は真似て発することがある。ちなみにこれはどこの国でもある。お礼の言葉や挨拶、少ない数字など、気になった言葉は聞いて確認したりもする。ちなみにこのカオサンとはタイ語で白米という意味だそうだ。この通り周辺に米問屋が多かったそうだが、旅人のわてには地元の問屋は全く目に入らず米屋のイメージは全くなかった。けれどそうやって少しずつ使い所の分からない知識を増やしている。
寺裏の安宿を根城に
カオサンロードで安宿を探しながら歩いていると、特に良さそうな場所もなく昼頃には賑やかになりそうなメインの通りを過ぎてしまった。すると大きなお寺のような敷地があり、その脇も少しだけ屋台などがあり二つ安宿が出てきた。両方とも値段交渉と、中の部屋、水圧、ファンなどを調べてそのうちの一つに決めた。この時は勿論そのつもりはないが、結果アジア圏の拠点として出ては戻り、出ては戻りでトータル3ヶ月はここに泊まることになる。それくらいカオサンロードのメインの通りよりも賑やか過ぎず、ネオンが明る過ぎず、夜も過ごし易く、治安も悪くなく、食にも、交通にも便利に感じた。まずはその宿に荷物を置き、共同のシャワーを浴びて街の散策に出る。
来た道を戻りカオサンロードのメインを歩くと、すでにほとんどのお店はオープンを始めていた。300メートルほどのこの通り沿いには数多くゲストハウス、インターネットカフェ、レストラン、旅行会社、古本屋、両替屋、セブンイレブン、衣料品店、床屋、タトゥー屋、簡易ベンチの屋台、ムエタイのジムなどなど旅に使えるものから、時間を潰せるもの、情報を得られる場所から、何屋か分からないものまで何でも揃いそうな気がした。
旅行者とは違う香り
現在のカオサンロードは、インターネットの普及やネットでチケットなど何でも買えてしまうので以前のようなバックパッカーの溜まり場としての役割は影を潜めているとのこと。少し残念な気もするが時代は変わり人の生活も、生き方も多様化し、どこの国でもそれは同じことだ。以前は全くいなかった現地の若い人々や、各国からの旅行者などが今のカオサンロードのお洒落なカフェや、お店に来てるという。どんな形に変わるにしろその時をそのままの形には出来ないと考えさせられた出来事の一つである。勝手なわての考えの一つに国にはもっと言えばその街にはその土地の香りがある。それはそこにいる人間たち、生き物たちが作り出す、醸し出す生活の中から生まれる特殊なものだと思う。特殊ではあるがどこの土地でも必ずある気がする。旅でその香りに馴染むと長く滞在する気がする。わてが長居した時のカオサンロードはまさに異国と現地のカオス。他のタイの街とも少し違う雰囲気を纏う。わてにはそんなカオサンの香りが不思議と肌に合っていた。
しばらくカオサンに馴染んだら色々なところでやっているというマーケットに出掛けてみようと思う。
ちなみにこの写真は寺裏の屋台で始めて見て信じられなかった。スティッキーライス&マンゴー。餅米と甘いフルーツの組み合わせ。口の中で想像できない組み合わせを恐る恐る食べてみた。
ありなんだねぇ〜〜〜!!
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