ネパール最古の仏教寺院 スワヤンブナートと悪魔の無意識
カトマンドゥのタメル中心地から2〜3キロほど西の丘の上にあり、とても急な石階段を登った先にあるというスワヤンブナート。ちなみにスワヤンブは「丘」、ナートはヒンドゥー教で「司る者」や「神」を意味するとの事。別名モンキーテンプル。そしてこの石階段は400弱あるそうだ。そして1979年にはネパール最古の仏教寺院として世界遺産に登録されたとの事。兎にも角にもこの長く急な石階段の前からナマステ〜🙏さぁ!いざモンキーテンプルへ!この足だけで旅を続けるわての脚力を舐めるなよと登り始めて三分の一ほどすると...階段の脇に小さな赤ちゃんを抱え力なさそうに悲しい顔で俯いている母親が細い細い腕を伸ばし物乞いをしていた。今までも色々なところで見てきた光景ではある。タイでもインドでも、勿論ここネパールでも。特に世界遺産や、観光客の集まる場所では多く見る。需要と供給のバランスであろう(使い方は違うけど)。入場チケット100ネパールルピー(2008年時)
今回の長い旅でこのような形の対峙で鮮明に残っているものが2つある。ネパールでのこの親子と、インドでの幼い少女である。ちなみに物乞いや、ストリートチルドレンには数え切れないぐらい出会っている。この記憶に残る2つの対峙は、言葉ではなかなかうまく表現できないが、この親子を前にしてまず時が止まったような、周りの流れを遅く感じるような錯覚に落ちいる。そしてもう一つは目である。悲しみや、諦め、疲れ、決して輝いていないが、しかし少しだけの期待の目、顔の表情は無である。わてが記憶に残るこの母親と、インドで出会った幼い少女にはどちらもそんな目をしていた。
次にわての頭の中で悪魔のような自分が(世界遺産のここでもまた物乞いか。幼子を連れて外国人の同情を得ようというのか。なぜ働かない?なぜこのように痩せ細って、弱っている赤ちゃんを見せ物のようにして。なぜ産んだ?)いつからだろう。きっとこのような場面を見過ぎてしまったわてが自分を保つために、無意識に頭を瞬時に切り替えてしまうようになった。
本当は、本当の最初は、あぁ、何て光景だ。なんて可哀想なのだ。少しでも何か食べられるのなら。小銭だけれど渡そうと思ったこともあったかも知れない。(記憶にはないのだけれど)最初から悪魔のような考えだったかも知れないけれど。なぜなら一度としてどこの国でもお金や物を渡したことがないのだから。一つ確かなことは魚を欲しがる人に魚をあげるよりも、魚の釣り方を教えたいという考え方だ。何じゃそら!?と思うかも知れないが、今わては小さいながら飲食店を経営していて、3周年の時にお店のオリジナルエコバッグを作った。その売り上げの全てをインド、ネパールのストリートチルドレンや、貧しい方に有意義な形で使えるように集まり次第、現地に赴き渡したいと思い取り組んだ。バッグの最終ロットが100個だったので100個作り、あと残り50枚...お店は7年目に突入...全然売れてへんやないかーい!!あ!大切な旅ブログにお店のことやエコバッグの話まで出してしまった💦スミマセン💦
是非お店にご来店の際はアルカロカのエコバッグをよろしくお願いいたします。きっとこういう地道な活動はお金の額も少量だし、時間もとてもかかるけれど、自分はあの時に誰にも施しを与えられなかったけれど、旅をさせてもらった国々での沢山の経験と出会いへのお礼をこれからも色々な形で少しだけでも少しずつでもしていこうと思います。なので継続可能なこの形にしたのです。買い手も日常から使用できて、エコバッグなので地球にも良い、そしてその売り上げは旅でお世話になった場所に還元できる。(何のお話しでしたっけこれ?)
階段を上り切るとそこは...ブッダの目が東西南北を見ていた
ブッダの目は先ほどの母親の目とは全く違った。ブッダの目は、わてには何とも表情の読めないただこちらの心も見透かされているような、悪魔的な考え方も何もかも見えているぞよと言われている気がして、あまり長い時間は直視は出来なかった。そしてモンキーテンプルと言われているだけあって、猿はたくさん暮らしていた。こちらも観光客慣れしていた。そしてチベット仏教の特徴的なマニ車(日本では輪蔵という)側面にマントラが刻まれていて、内部には径分などが収められていて、これを時計回りに回すと回転させた数だけ内部の径分や真言を唱えた功徳があるとされているそうだ。そりゃもうわては必死に回したことは言うまでもないですよね!(そういうところをブッダに見られてるっちゅーねん!)
タルチョなるものも独特かと思います。風に吹かれて靡いている物です。これにも径分が書かれていて風に吹かれるとお経が風に乗って流れていくそうです。青(天)、白(風)、赤(火)、緑(水)、黄(地)と色も意味も決まっているそうです。見た目には綺麗で華やかで、風に靡くと本当にお経が乗って流れているのではないかと思えました。
そして色々なところに現れるコスプレイヤー的なサドゥー(ヒンドゥー教の行者)!インドのガンジスにもいましたね! なぜ仏教の寺院にと思ったが、人が集まるところにはいるのであろう。サドゥーは悟りを得るために世俗を捨てて、瞑想や苦行を続けているらしいが、そばを通ると一緒に写真を撮ってやる!撮ってやるからこっちに来いと言わんばかりに近づいてくる。そして写真を撮ろうものなら、いくらよこせ!と言ってくる。施しを受けるということは色々なやり方があるものだと思った。
スワヤンブナートをゆっくりと色々見て周り、丘からの景色も堪能し、広場にはお土産屋さんなどもあありますが、特に何も買わず。ネパールのカトマンドゥ盆地にあるネパール最古の仏教寺院を堪能し、また階段を降り出す。
階段を降りながらふと考える。どんな形にしろ「今を生き抜くんだ」「先は知らん!」「とにかく生きるんだ」という人間の性(さが)のようなものを日々感じ、目の当たりにしているなぁと。これは自分自身にとって決してお金などでは買えない経験だった。華やかで明るい暮らしよりも、ありふれている、誰の目にも止まらない日常、暗くて陽にも当たらないような生活、しかしそこには確かに人が生き抜いている、そんな光景を記憶と目に焼き付けながら旅をしていた。
今回も普通の方のブログのようなスワヤンブナートの旅記録にはなりませんでしたが、これからもわてなりの目で、少し違うところに目を向けながら旅の記録を綴りたいと思います。今回も長い文章をお付き合いいただきありがとうございました〜!そろそろ身体も心もお腹も癒されて、満たされてきたので次回あたりインドに戻ろうと思います。
コメント