ガンジス川の小舟に揺られて

Varanasi

世界観...特に変わらず...ただ見る光景、景色は飽きない

よくかわいい子には旅をさせろや、インドに行くと世界観や、価値観が変わるよーなどと言いますが、旅には向き不向きがあるものなので、一概には言えませんが、わての考えは旅は、したい人がすれば良い(それはそうですけども💦)価値観や世界観はそんなに簡単に影響を受けたり、変わったりしないものだと思いますよ。(冷めてるなぁ〜)いやむしろ変える必要よりも受け入れたり、吸収することで少しずつその人なりの世界観や、価値観が広がったり、進化していくと思います!(真面目かっ!!)というわけで、はい!ナマステ〜!

そんなわてが昨晩驚いたことがありまして。今わてが泊まっている安宿はガンジス川のガート(川沿いに沐浴するためなどに作られた階段状のもの、沐浴や葬礼を行う重要な場所)の裏にあるのですが、そのガートから一晩中死体を焼いた煙が部屋に入ってきました。暑いから窓を開けていたのですが、急遽窓を閉めてファンだけで眠りにつく事に...暑すぎて眠れない。流石に寝付くまでに15分ほどかかったと思います。(いや寝れたんかーーーいっ!!)一日中部屋からはその儀式が見られ、焼いた灰を川に流していました。頭では不思議な光景と思っていながらも、この国の人や、信じるものの違いなど、頭では理解できないことも沢山ありました。聖なる川。死者をその河岸で火葬に付し、灰をこの川に流すことは死者に対する最大限の敬意とされ、子ども、妊婦、事故死、疫病死の場合はそのまま水葬される。う〜ん、わてはこのガンジス川を特に理由なく、ぼーーっと見ていることが何でか好きで、海のように広く、反対岸が見えないことも飽きない理由でしたが、チャイを飲みながら見ていると、たまに川の真ん中辺りをカラスがつついているのを見て、あれは何をしているのか近くの人に聞くと、あぁ川上から流れてきた人の死体か、牛の死体などが浮いてきたのをカラスが突いているのだろうと、当たり前のようにサラッと言うので、あぁそうなんだと答えましたが。。。内心何じゃそらー!!その手前では知らない沢山のおっさんが体中泡だらけになって笑顔で体を洗っていた。洗っているのか、汚しているのか、清めているのか分からなくなってふとクスッと笑ってしまった。そして絶対に川には入らないことを決めた。なぜならまだ旅は少なくても半年以上続く。足やどこかに小さい傷などがあるかわ分からないので、細菌などをもらうわけにはいかないのです。旅をしているといくつかの選択に遭遇する。オーストラリアのウルルに登るか登らないか、ガンジス川でバタフライするかしないか、列車かバスか、そこに泊まるか次に行くかなどなど何を選ぶにしろ、どんな選択をするにしろ、面白い方や、ワクワクする方を選ぶのですが、無謀なことだけはしないようにしています。多少の無理はするが、無茶はしない。線引きが分かりづらいですが、そこは肌感ですね!

小舟に乗って川から見た様々なガートや人々の生活

川沿いに行けば沢山の船乗りや小舟に出会える。そこで一般的なチャーター代を聞いて周り、相場を知る。わてもそんな中一つの小舟を借りて乗らせてもらう事にした。船頭さんは細い腕だが、漕ぎ慣れたものでグイグイと進む。船が出てまずは川を登り川上に漕ぎ出した。街の人混みにいた時よりも船の上の方が少し涼しく感じた。ガンジス川はどこまでも濁り、全く川底は見えない。街の方を見るとガートや、そこでお祈りをする人、沐浴をする人、歯磨きをする人、洗濯をする女性たち、子どもたちは笑顔で川遊びをしている。笑顔で手を振ってくれた。これが地元の綺麗な川でも少し違和感はありますよね。この光景がさほど離れていない場所で同時に起きているの光景。その後川下の方に漕いで行かれると余計に異様な光景になるのである。火葬するために布で巻かれた人が焼かれ、その語神聖なガートで灰をそのまま川に巻かれている。この船に乗っていてガンジス川のイメージは、ヒンドゥー教の川の女神『ガンガー』の方がしっくりきた。全て、生も死も、人も動物も、自然をも包み込むというよりも飲み込む偉大なるもの。このガンガー自体が生き物に思えた。

さぁ、ヴァラナシの喧騒も、入り組んだ小道たちも、ガンジス川から見たヴァラナシの街も、もう少しだけ味わって、次の街を目指そうと思う。何だか最後の方は少し感傷的な文面になってしいましたが、次回も張り切って次の街を目指します〜ナマステ〜🙏

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