知らないおっちゃんと知らない町をツーリング

Bodhgaya

良い子は真似をしないように!知らない人には着いていってはいけません!

『過去を追うのではなく 未来を願うのでもなく 今なすべきことをなしなさい』というお言葉をお釈迦様は残したそうです。

はい!というわけで今回は初めましてのブッダガヤに住む知らないおっちゃんのバイクの後ろからナマステ〜🙏今なすべきことをなしております。(そういうことかなぁ〜?)とりあえずどこに連れて行かれるかも分からないままバイクは進み到着したのは、めちゃくちゃ田舎の何もない、雑草の生い茂る空き地の様なところ。「着いたどーっ!」そこには金色でガリガリのブッダが坐禅を組んでいる像がひっそりとありました。見るからに辛そうな修行中に見えます。ココでブッダは苦行をしていたんだ。と伝えられたが、今は人っ子1人いない。むしろ異様な光景にさえ見えてしまった。ココで村の娘に乳粥をいただき一命を取り留めたのだ。すごい場所なんだぞーと言われたが正直まだあまりピンと来ていなかった。  

わて「・・・・」(な、なんか想像してたんと違う....)

おっちゃん「よし次に行こう!次!次!」  あ、きっとわてのリアクションが薄いから早めの移動なんだなぁ〜。ブッダの人生をそこまで知らないから、きっとこの空き地は像まで作られているのだからブッダの人生の大切な場所で、おっちゃんは最初から驚かせてやるぜ〜!どうだっ!!的な感じだったのだろう。何か悪いことしちゃったかなと少しだけ思ったけど、嘘のリアクションは出来ないから良しとしよう。

また次の謎の行き先に向かうおっちゃんのバイクの後ろで、生温かい風を浴びながら見えるこの町の景色は、この町に初めて降り立った時からずっと感じている不思議な気持ちを確かなものにした。最初は人の少ない寂れた田舎町だからかと思っていた。この町にいる虫や動物まで他の町とは違う生活をしているように感じた。そして日本を含む色々な国のお寺。そして町の人たちの接し方、時間の流れ方、静けさ、貧しさ、穏やかさ、不思議と何か他の町と違った。勿論同じ町なんてないのだが。空気感や、肌で感じる雰囲気がこれまでと違った。それに貧しい土地柄なのに、客引きや、ストリートチルドレンや物乞いをほぼ見なかった。(勿論わてが会わなかっただけかもしれないが)知らないおっちゃんのバイクの後ろでそんなことを考えることができた。あぁ〜まだ金ピカのガリガリのお釈迦様しか見ていないが、おっちゃんツーリング誘ってくれてありがとう、と思っていた。(いやまだこの先メチャクチャ騙されるかもしれないけれど)

環境、宗教、人種、人口、インフラ、景気..そんな事よりも今の飯

おっちゃんの次の目的地までの道中、町の子供達と出会った。屈託のない笑顔で近寄ってくる。10歳前後だろうか。みんな見た目は決して豊かではなそうである。穴の空いた服を着ている子も、裸足の子もいる。わては戦後の世代ではないが、写真や教科書で見た白黒の昭和戦後の日本のような元気な顔や、活気がそこにはあった。お金はないが戦さは終わったんだという雰囲気。その瞳には見た目とは裏腹に輝きや、明るさ、楽しさが現れていた。誰1人「マネーマネー」や、「ルピールピー」などと言ってはこないのである。しばらくこの国にいて勝手な思い込みや偏見を持っていたことに本当に反省した出来事だった。言葉は全く分からなかったが、ただ一緒に笑い合った。何を聞かれたか分からなかったが、勝手にわてが来た国は「ジャパン!ジャパン!」と答えてみんながそれを真似する、そして笑うのひと時だった。

決して比較するわけではないが、コルカタや他の大都会の街の道で会う子供たちはストリートチルドレンが多く、必ずと言っていいほどお金や、食べるものの施しを求められた。勿論、家もなく、両親もいなければ生きていくためには何でもやってやるという強い意識があるのであろう。彼らの大きな目には瞳の奥に暗い悲しみや、諦めのようなものが感じられた。きっと多くの人に救いを求め、数多くの人たちから拒否されて、自分を傷つかせない方法を自ずと習得していってしまったのでろう。始める前から諦めていれば結果がどうあれ傷つかない。そんな彼らには過去を憂う暇も、未来を想像する余裕なんてない。ただ今を、今食べる飯を求めている。今屋根のある寝る場所を、風を遮る寝る場所を、今日を生きられる場所を。これがお釈迦様の言われたことならば、彼らは望まなくてもその生き方しかない。

お釈迦様の生きていた2500年前からきっと変わっていない。同じ土地、同じ子供、同じ人間。

本日はこの辺りで…. あなたにとって今なすべきことは何ですか?(疑問系で終わるのやめぇ!!)

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