インドを出国しネパールに入国 今度はネパール側のバンに乗り込む(~_~;)
いつものように意識を飛ばす勢いで爆睡し、朝方起床するとみんなそれぞれに出発の準備を初めて無事にネパール側のバンに乗り込み、昨日からのリスタートと言わんばかりにバンの旅は始まりました。そんなネパール側からナマステ〜🙏このネパール側のバン旅の何が恐ろしかったというとその道が、山道なのですが、車一台がやっとの、崖下へ落ちるギリギリの細い道を突き進むのです。これはもう本当にドライバーへの信頼感しかないのですが、ドライバーへの信頼感は全くないので(おい!)ただただ祈るばかり。落ちないか怖いけれど、心配で車窓から外ばかり見てしまうという。絶対に年間何台かは崖下に落ちているであろうこの道。わては飛行機も船も今回の車もそうですが、自分の力ではどうにもならない状況の危険が一番神経を使います。日本のように綺麗に舗装なんてされていない砂利の山道。対向車が来たらどうするのだろうと常に思ってドキドキしてました。
こんな状況下をインドから数えたら約30時間くらいですか。あまりに長過ぎて正確な時間が分からなくなってますが、ヴァラナシから陸路でのネパールの首都カトマンドゥのバンの旅。飛行機が大の苦手のわても流石にネパールから出国する時は飛行機を使おうと密かに心に決めました。兎に角、山道がデンジャラスでした。もはやカトマンドゥに着いた時には狭い車中のおかげで身体中が凝っていて、常に崖スレスレの運転のせいで精神はすり減り、2日しか経っていないはずなのに疲れ切っていました。ちょ、ちょっと休みたい。は、早く横になりたい。カトマンドゥに着くと早速宿の客引き達が現れ、バンから降りる我々異国のバックパッカー達に営業をかけてきた。わては実際カトマンドゥには以前アパレルで働いている時の買い付けで来た事があったので、その時に泊まった宿に向かった。宿にレストランが付いている所が多く、この日は流石に街中を歩いて食堂を探す苦力もなく、宿に行って、そこでご飯を済ませて、また気絶するように落ちていた。ネパールに無事ついた感動や、ネパール人とインド人の顔の違いや、性格の違い、宗教感、物価の価格、インドルピー、ネパールルピーの差などなどは次の日元気な気持ちで街に出て歩きながらどんどん感じていった。
日本食の宝庫 カトマンドゥ!!
2025年、今の時代であれば、インターネット、Wi-Fi、世界中の距離感が近く、大手フードチェーン店などは世界中に進出しているのですが、わてが旅していた頃には一部の大手例えばマクドナルドや、ケンタッキーなどは大都市にはあったかもしれませんが、基本的にはどこにもあまり見かけませんでした。なので、基本的にアジア圏で日本食が食べられると聞いて食べてみても、コ、コレはどこの国の料理ですか?と聞き直したいくらいのクオリティでした。そのぐらいの期待ではありますが、日本語で桃太郎や、東京ラーメン、おふくろの味などと書かれたお店があると、無意識に足が進んでおりました。日本食は勿論、日本語にも、ひらがなや、カタカナにも飢えていたので、早速突撃してみると当たり前ですがネパール人がスタッフとして働いており、勿論日本人の姿はなく、メニューを見ると見慣れた日本語表記もありそれだけで嬉しかったです。現在はわて料理人のため味に関しては、基本的にコメントしないのですが、この時は生粋いのフーテンの寅さんのため自由に書きますと、メニューは色々とありましたが、カツ丼や、生姜焼き、うどんや、天ぷらうどんなどなど、値段はやはり少し高くなりますが、この旅で久しぶりに日本食を食べられて嬉しかったことは言うまでもありません!(特に味の感想言うてないやん!)日本食を食べて久しぶりに日本を思い出しましたが、わて留学からこの旅の期間、やはり一度もホームシックや日本に帰りたいと今のところ一度も思った事がありません。ありがたい事にまだ帰らなければならない事態にもなっていないので、今後も身の安全に気をつけて旅を続けて、まずは着いたばかりのこのネパールを楽しんでいきます!次回はカトマンドゥの寺院や、人々、街並みや少しの歴史などをご紹介できればと思います!それではまた次回〜ナマステ〜🙏
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